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最高裁判所第一小法廷 昭和41年(オ)1385号 判決 1968年7月11日

上告人

日本火災海上保険株式会社

右代表者

右近保太郎

右訴訟代理人

神田洋司

被上告人

大阪重量株式会社

右代表者

津田茂

右訴訟代理人

酒井信雄

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人神田洋司の上告理由第三点について。

論旨は、原審が、その認定した原判示の事実関係だけから、訴外ジャパンマシナリー株式会社(以下単に訴外会社と略称する。)は昭和三八年四月一三日被上告人に本件研磨機の運送を委託した際、被上告人に対し、右破磨機の運送中の事故にによつて発生することのあるべき一切の損害の賠償請求権を予め放棄する旨の意思表示をしたと解釈判断した点には、採証法則ないし経験則の違背があり、または理由不備の違法があると主張する。

そこで、検討するに、まず原審の認定した事実関係は、原判示によれば、トラック等による機械類の運送を主たる目的とする会社である被上告人は、運送する機械類が高価品であるのに対し、会社の資本金が少なく、運送中の事故によつて発生する損害の賠償能力に欠けるものであつたところから、従来、とくに遠隔地への運送の委託を引き受けるに際しては、荷送人の承諾を得たうえ、被上告人が安田火災海上保険株式会(社以下単に訴外会社と略称する。)との間に、荷送人を被保険者(保険金受取人)とし、その申し出た運送品の価額を保険価額および保険金額とする運送保険契約(損害保険契約)を締結し、運送品の運送中の事故によつて発生することのあるべき損害については、右保険契的にもとづき訴外保険会社から支払われる保険金のみをもつて填補することとし、被上告人においては、右保険契約の保険料を支払う以外には全く責任を負わないことにしていたものであるところ、訴外会社も昭和三八年四月一三日被上告人に本件研磨機の運送を委託するに当たり、右の趣旨を了承したうえ、被上告人に対し、右研磨機の価額が金四〇〇万円であるとして、その価額を保険価額および保険金額とする運送保険契約を締結するよう申し出で、その保険契約の利益に与かる旨の意思表示をしたというのであり、そして、原審は、以上の事実関係のもとにおいて、訴外会社は被上告人に対し、右研磨機の運送中の事故によつて発生することのあるべき一切の損害の賠償請求権を予め放棄する旨の意思表示をしたと解釈判断したものである。

しかしながら、仮に、原審の右認定のごとく、訴外会社が被上告人に本件研磨機の運送を委託するに当たり、原判示のような趣旨を了承したうえ、被上告人に対し、原判示のような運送保険契約を締結するよう申し出で、その保険契約の利益に与かる旨の意思表示をしたものであるとしても、そのことだけから、直ちに訴外会社が被上告人に対し、右研磨機の運送中の事故によつて発生することのあるべき一切の損害の賠償請求権を予め放棄する旨の意思表示をしたものと解釈することは困難である。けだし、運送保険契約の被保険者は、その保険者から保険金の支払を受ける前においては、商法六六二条に規定するいわゆる保険者代位の対象となる被保険者の運送人に対する損害賠償請求権を放棄することも可能であり、かつ自由であるが、もし右被保険者が右保険者から保険金の支払を受ける前に右損害賠償請求権を放棄した場合には、保険者は、右放棄がなければ商法の右規定により被保険者に代位して運送人に対して取得することのできた右損害賠償請求権の金額の限度において、保険金の支払の義務を免れるものと解するのが相当であるところ、もし、原判示のように、訴外会社が被上告人に右研磨機の運送を委託した際、被上告人に対し、右研磨機の運送中の事故によつて発生することのあるべき一切の損害の賠償請求権を予め放棄する旨の意思表示をしたものとすれば、訴外保険会社は被上告人との間に締結した右研磨機の運送中の事故に関する運送保険契約にもとづく保険金の支払の義務を全く免れることになり、したがつて、訴外会社は被上告人から右損害の賠償を受けることができなくなるのはもちろん、訴外保険会社からも右損害を填補すべき保険金の支払を受けることができず、また、仮に訴外会社がその後すでに訴外保険会社から保険金の支払を受けているとしても、これを返還しなければならないことになり、結局、右損害はその全部を、最終的に訴外会社自身において負担しなければならないという、訴外会社にとつては、極めて不利益かつ不都合な結果が生じることになるわけであつて、訴外会社がそのような不利益かつ不都合な結果を甘受して、右損害の賠償請求権を予め放棄する旨の意思表示をするということは、経験則上、極めて特殊異例の事象に属し、よほど特段の事情のないかぎり、生起しえないことといわなければならないからである。

そして、原判決においても、訴外会社が右のような不利益かつ不都合な結果が生じるのを甘受して、右損害の賠償請求権を予め放棄したと認めるべき特段の事情の存在したことは何ら判示していないし、また、原判決挙示の証拠関係に徴しても、そのような特段の事情の存在したことは窺うことができない。むしろ、原判示によれば、本件研磨機はその時価が金五〇〇万円もする高価品であり、しかも、訴外会社は、右研磨機の運送中の事故に関する保険につき、被上告人が訴外保険会社との間に締結した保険金額金四〇〇万円の前記運送保険契約だけでは不充分であるとして、さらに上告人との間に、保険金額金一〇〇万円の本件運送保険契約を締結していることが認められるというのであるから、これらの事実関係からすれば、右のような特段の事情が存在したとは到底考えられない。

もつとも、原判決においては、訴外会社が被上告人に本件研磨機の運送を委託した当時、もし訴外会社が被上告人に対し、右研磨機の運送中の事故によつて発生することのあるべき一切の損害の賠償請求を予め放棄するとすれば、前記のように、訴外会社にとつて極めて不利益かつ不都合な結果が生じることを知つていたとの事実は認定判示されていない。しかし、仮に訴外会社が右のような事情を知らないで、被上告人に対し、右研磨機の運送中の事故によつて発生することのあるべき損害については、被上告人が訴外保険会社との間に締結する運送保険契約にもとづいて支払われる保険金のみをもつて填補する旨の意思表示をしたとしても、それは、たかだか、訴外会社が少なくとも訴外保険会社からの右保険契約にもとづく保険金の支払だけは確定的に受けうることを条件にして、右保険金の金額を超える損害部分の賠償請求権のみを放棄する旨の意思表示をした趣旨にすぎないと解すべきであろう。

してみれば、何ら特段の事情が認められないのにかかわらず、原審の認定した前記の事実関係だけから、にわかに、訴外会社は被上告人に本件研磨機の運送を委託した際に、被上告人に対し、右研磨機の運送中の事故によつて発生することのあるべき一切の損害の賠償請求権を予め放棄する旨の意思表示をしたとした原審の前記解釈判断は、明らかに経験則に違背する不合理な判断であつて、原判決には理由不備の違法があるといわざるをえない。したがつて、原判決の右違法を主張する本論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。(松田二郎 長部謹吾 大隅健一郎 入江俊郎 松田二郎)

上告代理人の上告理由

第一点 原判決には影響を及ぼすことは明らかなる法令の解釈適用の誤りがある。

(1) 原判決は「ジャパンマシナリー株式会社(以下訴外会社と称す)と被上告人との間で本件研磨機の運送に際し発生することあるべき損害につき被上告人に対する一切の損害賠償請求権を予め黙示的に放棄したものと認める。しかも本件研磨機の運送の場合のみならず右訴外人と被上告人間の昭和三七年以務のすべての運送契約に於て、それに基く損害賠償請求権をも一切黙示的に放棄している」と判示しているのである。

(2) しかしながら損害賠償請求権の放棄は既に発生せる権利については勿論未発生の権利についてもその放棄の予約は許されるのであるが未発生の権利そのものについての放棄は許されるものではない(大阪地民二判新聞五三八号「明治四一年一二月一〇日一六頁参照)しかるに原審判断は訴外人と被上告人との間の運送契約上発生するかも知れない損害賠償請求権を、未だ発生していない段階で、しかも個々の運送契約にもとづく損害賠償請求権のみならず昭和三七年以後のすべての運送契約に基く損害賠償請求権をも一切放棄したと認定したことは民法第五一九条あるいはその類推解釈である権利の放棄の解釈適用を誤つた違法の判断という他はない。

(3) すなはち荷主である訴外会社が運送人である被上告人の運送途上に於ける過失によつて生じた損害賠償請求権を放棄するか否かは自己にとつてはもつとも大きな犠牲に耐えるかどうかの問題である。そのため損害賠償請求権をすべて発生以前に盲目的に放棄したと擬制し、しかも黙示的な形で一方的に認めることは許されない。

通常その損害賠償請求権を放棄する場合は、その損害が発生し、その原因とか形態及びその損害の程度を勘案して、この位の状態では放棄してもかまはないだろうという好意的な立場で放棄するものである。このことは権利の放棄が権利者の一方的な意思に基づく単独行為とされている所以である。従つてその損害賠償請求権がいまだに発生せずにしかもその程度、形態もかいもくわからずむやみに放棄を認めるということは信義上も許されるものではない。しかも本件の如く黙示的な放棄という方法で未発生の権利の放棄を認めることは誤りである。

(4) もし未発生の段階でその損害賠償請求権の放棄をすべて認めるとしたならば運送人は自己の取扱う貨物の輸送について善良な管理をし慎重な注意のもとに運送し運送品の滅失毀損を最小限度に防がなければならないという責務から解放され安易な輸送をなし、しいては損害の発生さへ助長し多大の努力をつみかさねて作りあげた貨物の毀損、滅失の危険が表はれやすい危険性を包含し、国家経済的な側面から見ても許さるべきものではないであろう。

(5) もし損害賠償請求権の未発生の段階に於てその放棄が許されるとしてもそれは明示の意思表示に限るものである。

即ち訴外会社がその権利を放棄するということは前述あるいは後述する如くその蒙る不利益は多大なものであるからその意思表示はより表見的明確性の程度高いものでなければならない。

しかるに黙示という表見的明確性の程度の低い認識でありしかも、それは本人の意思を外部的な諸条件から推察するという一方的な擬制判断であつてその判断はより慎重でなければならない。しかるに、その判断を本件の如く、未発生の権利にまで及ぼすことは、それによつて本人の権利を完く失効させ倶害する結果となるのであるから未発生の権利放棄には黙示の意思表示を適用すべきではない。

(6) 若し仮に前項の主張が認められなく黙示の意思表示で将来の請求権の放棄が認められるとしても、その程度、範囲は限定されなければならない。

即ち個々の運送契約締結の場に於て個別的にその事前の放棄を認めるとするならばともかく本件の場合の如く訴外会社と被上告人との間の昭和三七年以降のすべての運送契管に於て包括的に損害賠償請求権を黙示的に、

とは前述の理由等からして許さるものではないであろう。

第二点 原判決は前第一と同じく民法五一九条の法令解釈適用中権利放棄の意思表示は相手方に対し為す必要があるという解釈に違反した違法のものであるということができる。(大審院大正二年(オ)二一五号、同年七月一〇日民一判参照)

(1) 原判決は権利の黙示的放棄の諸条件として被上告人が訴外会社を保険受取人として訴外安田火災海上保険株式会社との間で運送品の滅失毀損を填補する目的の損害保険契約を締結し、訴外会社が右保険金を受領することに合意した事実と被上告人が内部関係に於て訴外会社に対して運送品の損害賠償責任を負担しないという内部的な意思として持つているだけでそれを外部に明示していない事実を根拠として損害賠償請求権を放棄したものと認定しているのである。

(2) しかるに本件に於ける保険契約の形態を考察して見ると被上告人は訴外安田火災に対しては単なる保険契約者の立場にあるだけで保険の利益を受け保険金を受領する被保険者はあくまで荷主である訴外会社である。従つて訴外会社が前記保険契約に基づき保険金を享受し、その利益にあづかる旨意思表示をするのは当然のことであつて、何等権利放棄に関し特別の意味あいを持たすことは出来ない。

一方賠償責任を負担しないという事実にしても、それは被上告人が内部の意思に於て荷主に対し賠償責任を負担しないということにしていたゞけで何等外部に表示されたものではなく、従つて法律上特別に評価しなければならない事実では勿論ない。

従つてこれらの事実だけでは荷主たる訴外会社が本件運送契約にもとづく損害賠償請求権の放棄の意思表示を相手方になしたとする理由にかけているものであつてこの点で原判決は違法な判断をなしたと云へよう。

第三点 原判決の判断に判決に及ぼすことが明らかな採証法則経験法則に違背あるいは理由不備がある前記第二点の主張が認められないとしても前述の原審の認定した事実からだけで原判決が権利放棄の黙示の意思表示があつたと認定したことは採証法則あるいは経験法則に違反したまたは理由不備の判断という事が出来る。

(1) 即ち前述した如く原判決は黙示の権利放棄の事実として訴外会社が保険金を享受するという意思表示と被上告人と内部的な意思で賠償責任を負担しないという二つの事実から推論している。

しかし被上告人は、訴外安田火災に対し保険契約者としての立場で損害保険契約を締結し、その際の保険金を正当に受領する利益及び権限があるのはあくまで被保険者でありそれは本件の場合訴外会社である荷主である。しかもその保険契約に基く保険料すら被上告人は運送賃と共に右保険の利益を受ける訴外会社に対し、請求し同会社が支払うという方法によつて実質的に訴外会社が負担し、右保険契約については被上告人は一銭の出費もなしていない。

右の様な保険契約における被上告人の立場は訴外会社の代理人的立場にあるものという他はない。

従つてかくの如き保険形態に於て被保険者である訴外会社が、保険の目的なる運送品に損害が発生した場合保険金を受領し、その意思表示をなすのは当然の事なのである。

保険契約者である被上告人が貰うべき保険金を訴外会社が同人に代つて貰うという事ならともかく、そうでない本件についてそこに敢て権利放棄について特別の意味をもたそうとする原審の判断は誤りなのである。

(2) 一方原審がその理由中で判断しているように訴外人が第三者である被上告人に対する損害賠償請求権を放棄すれば、保険会社はその範囲内で保険金を支払わなくともいいし、支払つている保険金があればその返還を求められると指摘している。とすると本件の如くあいまいな事実をもつて権利放棄の黙示の意思があつたと認められれば上告人は訴外人に対しすでに支払つた保険金の返還を求められるだけでなく訴外安田火災に於ても全く同様訴外人に対し同社が支払つた保険金の返還を求められることとなる。

事実同社も被上告人に対し本件事故に基づく損害賠償の代位請求をなしているのである。

そうすると荷主である訴外会社は本件の如く訴外安田との間の保険契約を締結することに同意しその保険金を受領するという意思表示をしたばかりに保険金を結果的に何等もらえないことになり本件事故における損害は自己が負担しなければならぬという全く矛盾した結果になるのである。

この事からしても訴外人が自己の全く不利になる権利放棄を黙示したと推論する理由にはならないであろう。

(3) しかも一方の事実でも前述した通り被上告人側の内部的な意思だけの保険金だけで填補してもらい損害賠償の責任を負担しないということは完く内部の意思で問題にはならない。

従つて以上の事実からして訴外会社に最も利害の多きい権利放棄という事実を推論する理由にはならない。

(4) また原審判断は被上告人が資本金わずか二〇〇万円の会社であり、運送中に事故が発生した場合損壊した運送品の賠償能力に欠けるということをも権利放棄の黙示の意思表示の推論の事実としてあげられているように思えるのであるが、その場合には通常責任保険と称する保険契約があつてこれは運送人が運送途上その他で発生した事故により運送品の所有その他のものから債務不履行或いは不法行為に基いて損害賠償を請求された場合に於て運送人が負担する責任を右保険によつてカバーして保険金を運送人に対し運送人のために支払いその賠償責任を填補する制度があり被保険者はこの場合運送人で当然その保険料は運送人が負担する。

その様な制度があり、しかも運送人である被上告人は、この制度を熟知していたのであるから前述の賠償能力の負担上心配があればこの様な制度を利用すればよいのであつてこの制度を無視して前述の賠償能力けんけつ云々を重視し権利放棄の一つの根拠として推論するには全く筋違いであろう。

以上の如く原審が認定した事実から推論した権利放棄の意思表示ありとした判断は採証法則あるいは経験法則に違反したもの、又はその理由に不備があるものである。

第四点 原判決は判決に影響を及ぼす審理不尽若しくは理由不備の違法である。

(1) 原判決は訴外人会社の被上告人に対する損害賭償請求権の放棄を訴外会社大阪支社事務担当社木本厚を通して為した様に判断している。しかしながら右木本は訴外会社の代表権限を有するものでは勿論ないし、部課長でもなく単なる事務職員にすぎない。同人には保険契約を締結する権限は与えられていたかもしれないが権利放棄という訴外会社にとつて重要な行為をする権限は何等与えられていないものであつて、従つて同人が権利放棄するには特に特別の授権が必要になつてくる。(大審院昭和五年一三七六号、同年一二月二三日民二判参照)

(2) しかしながら原審判決は訴外会社が右木本に対し債権放棄に関し代理権受与の有無について判断することなく債権の放棄を認定したということは審理不尽若しくは理由不備の違法があるという他はない。

第五点 原判決は判決に影響を及ぼす法令の解釈適用の誤りがある。

(1) 原判決は本件の如く運送契約上の荷主の運送に対してその荷主に運送保険がかけられている場合に於ても運送途上に於て運送人の過失によつて発生した荷主の損害賭償請求権を放棄するということは保険会社である上告人の正当な権利である代位請求権を剥奪し第三者の権利を侵害する結果になるのに拘らずその損害賭償請求権の放棄を有効として上告人の上告人に対して対抗できないという主張に対し、その理由がなく採用の限りでないと否定している。またその根拠として被保険者が第三者に対する損害賠償請求権を放棄すれば保険者である上告人はその放棄した範囲内で被保険者に対する保険金を支払済みの場合なら返還を求められるし、それ以前であればその差額だけ保険金を支払えばそれですむのであるから何等保険会社である上告人の権利利益を侵害する結果にはならないと判示している。

しかしながら右の判断は、第三者の権利を侵害するような権利の放棄はゆるされないという(大審院大正二年(六七六号同年二月四日民一判民集七三八頁)、判例に牴触し、又民法第三九八条推適用したその請求権が他の権利の目的になつているとき或いはその放棄によつて第三者に不当の不利益を与えることはゆるされなく、正当な利益を有する第三者には対抗できないという法解釈に違反した判断という他はない。

(2) そもそも保険会社の商法第六六二条に基づく代位請求権は当然の権利として被保険者或いは保険契約者の何等の意思表示をまたずに保険金を支払つた段階で当然に享受する権利である。

よつて荷主に対しその荷物の滅失・毀損に対し填補賠償としての保険契約を締結した限り(通常物保険と称すこれに対し前述した如く責任保険制度がある)その滅失・毀損の事故が発生し保険会社が保険金を支払つた範囲内で当然にその損害賭償請求権を代位取得するのであるから被保険者或いは保険契約者が運送品に対する物保険を締結した時に当然保険会社の第三者に対する損害賠償の代位請求権の目的になつていたものということができる。

保険の対象となつた運送品の運送契約に於て被保険者が第三者に対する請求権を放棄するということは保険会社の正当な権利である代位請求権を侵害するものという他はない。

(3) そもそも商法第六六二条に基づく代位請求権を認めた根拠は支払つた保険金の全部或いは一部を代位請求し回収し得ることによつて統計的に算出される保険料率が必然的に低率となり従つて安い保険料に基づいて保険契約が締結でき社会一般の人に対し軽い負担に於て彼等の財産の損失を填補せしむることができるようにする目的と、一方実際に自己の過失に基づいて損害を発生せしめたものに対し何等その責任を追求し賠償せしむることなく放置しておくのは社会秩序の要請からもゆるされるべきものではないし或いは云換えればその放置によつて必然的に保険料率が高くなり社会の人々に対し高い負担をおわせるようなことがあつてはならぬという政策的な見地からとられた制度である。

従つて原審判断の如く被保険者の権利放棄を認めるとするならば右の様な社会的要請に反するものといはなければならない。

(4) 前記第三点(2)で述べている如く本件の損害賠償請求権の放棄を認めると訴外会社は上告人及び訴外安田火災からも保険金の返還を求められ荷主である訴外会社は前述の如く保険料すら同人が負担しているのに拘らず運送品である機械の滅失に対する本件事故についての損害賠償を誰からも填補してもらえないことになつてその損害は自己が負担するという結果になる。これは保険に基づく填補という保険の機能そのものが全く無意味、無価値にしてしまうものである。

(5) 従つて被保険者に対する損害賠償請求権を放棄し得るのはその荷物にかけられた保険金以上の損害が発生した場合だけでありまた商法六六二条の被保険者の有する権利を包括的に取得するという当然代位の規定においてもその権利放棄の点は承継せずに制限されるものといえよう。

(6) 又その様な権利の放棄が有効であり第三者の保険会社に対抗できるとするならば前述第一点(4)で述べた如く何ら一銭を負担していない運送人である被上告人に対し荷主の取扱いに対し損害を最小限度にくいとめなければならないという社会的要請に反し公序良俗の見地からしても対抗しえないという他はないであろう。

以上いづれの論点よりするも原判決は違法であり破棄さるべきものである。

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